長寿の秘訣 2016年 6月 3日
長寿は、ご自身の人生に対して、誰もが願うことだと思います。
誰もが、なにも考えずに、長寿できるのであればこんな有り難い話はありません。また、ここまで生きたからもう
充分だということもないのだと思います。人の命は有限ですから、できるのであれば、草が枯れていくように自ら
の寿命を全うして無くなっていけたら幸せなことだと思うのです。
そこで、私たちの先人であります長寿の人たちの生き方をもとに、その秘訣を探ってみたいと思います。
職業別の統計があります。一番の長生きは、宗教家。2番目は、政治家。
3番目は実業家。という調査があります。その他に、医師、大学教授、画家などの職種があげられています。
こうした偉大な先人たちの、身体と心の状態を紐解いていって見ましょう。宗教家といえば、肉体は暴飲暴食
を戒め、粗食を規範とした生活を送っています。
こころの持ち方は、雑念妄念を払拭し、心を安寧状態に保ち人々の苦を癒すことを心がけていられるのが日常の
生活になっています。
政治家といえば、一般的には汚職や利権がらみの話題がつい脳裏に浮かんできますが、本当に政治を志す人の心
の中には、政治を通して世の中を良くし、人々の生活を向上させてあげたいという志がみなぎっているのだと思
います。
同じように、実業家についても、自らの事業を通じて、社会の発展に貢献し、従業員の生活を向上させたいとい
う思いに溢れているのだと思います。
医師についても、自らの技量で病んでいる人を救い、健康を取り戻し幸せを味合わせてやりたいという気持ちを
持っていらっしゃいます。
大学の教授も、自らの研究を通じて、世の中の進歩に貢献し、人類の幸せに貢献したいという志を持っています。
画家の人達は、自らが描いた美の世界を通じて、人々に美しさを感じ取って欲しいと思って絵を描かれているの
ではないでしょうか。
では、どんな人たちが長寿の生き方をされたのでしょうか。
順番に長寿の方たちを挙げて見ます、それぞれの職業毎に、ほんの一例ですが、間違いなく長寿を体現された方
たちです。
宗教家としては、親鸞(90)、一休(87)、松原泰道(101)、大西良慶(107)を取り上げてみます。
まず一番は、親鸞(1173年~1282年)です。平安時代から鎌倉時代にかけて、法然の元で修行し浄土真宗の宗祖と
なった人。当時の平均寿命が30歳と言われている時代に90歳まで生きられました。歎異抄が有名です。
“善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや”が有名です。念仏を説いて人々救いました。当時、宗教家は妻を持
たなかった慣例を破り妻帯したのも有名な話です。
2番目は、一休(1394年~1481年)です。頓智で有名な一休さんです。
臨済宗。有ろじより無ろじへ帰る一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け。にちなみ一休の名前になったそうです。
門松は、冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。も有名な句。逸話として、子孫に何か困ったこと
があったらこれを開けといって遺産として残した箱を、後年の子孫がいよいよ困ったときに開いたら、中から出て
きたのは、一休の筆跡で“心配するな、何とかなる”の紙だけだったというのが有名な話。
3番目は、松原泰道(1907年~2009年)です。早稲田大学卒業。
臨済宗妙心寺派教学部長、般若心経入門がベストセラーとなり、仏教を身近なものとするのに貢献された。
4番目は、大西良慶(1873年~1983年)奈良県生まれ。
法隆寺、興福寺を経て、40歳で清水寺に入る。北法相宗を設立。
仏教の興隆に尽くし、世界平和と老人福祉に尽力した。
次に、政治家ですが、岸信介(90)、宮本顕治(98)、存命中の人として中曽根康弘、村山富市を挙げます。
1番目は、岸信介(1896年~1987年)山口県生まれ、弟は佐藤栄作(元首相)、娘婿が安倍晋太郎で、その次男安倍
晋三が孫にあたる政治一家。
東大卒業後、官僚となり満州にわたる。東条内閣では商工大臣を務める。
戦後A級戦犯被疑者となるが、東西冷戦とともに復職、1960年日米安保条約改定では、学生デモを抑え込んで条約
を改定。その後の日米の関係の礎を築いた。
2番目は、宮本顕治(1908年~2007年)山口県生まれ、東大卒業後、日本共産党に入党。1933年のスパイ査問事件で
投獄。この間、作家の中條百合子と入籍。百合子は獄中の宮本を支えた。無期懲役の刑が戦後の政治犯釈放命令に
より釈放される。1958年党書記長、1966年中国訪問時毛沢東と会談時の意見の食い違いで中ソ共産党とは断絶関係
をとる。1970年党委員長に就任。1977年~1989年参議院議員を務める。
3番目は、中曽根康弘(1919年~存命中)群馬県生まれ、東大卒業。
1982年から首相を5年間務める、在任中に行政改革により国鉄、電電公社、専売公社を民営化する。
4番目は、村山富市(1924年~存命中)大分県生まれ、明大卒業。
1994年に、自社さ連立政権で首相に就任。戦後50年の村山談話を発表。
戦後、47年ぶりの社会党から2人目の首相。
次は、実業家ですが、有名な人として松下幸之助(94)、井深大(89)を挙げましょう。
1番目は、松下幸之助(1894年~1989年)和歌山県生まれ、小学校中退。
現在のパナソニックの創業者、人を大事にする経営で時代の背景もあるが人員整理を行わず経営を貫いた。
松下政経塾の創設。
2番目は、井深大(1908年~1997年)栃木県生まれ、早大卒。
ソニーを盛田昭夫とともに創業。トランジスタラジオ、テープレコーダ、トリニトロンテレビ、ウォークマン
と次々新製品を世に送り出し、世界の市場を席巻していった。
医師については、何と言っても日野原重明先生でしょう。
日野原重明(1911年~ )山口県生まれ、京大卒。
聖路加国際病院名誉院長、日本で最初に人間ドックを開設、予防医学の大切さを説く。104歳にして現役で、医師、
執筆活動に忙しく働き続ける。
言葉に“生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる”がある。
大学教授については、江崎玲於奈さん、小柴昌俊さんを挙げます。
江崎玲於奈(1925年~ )大阪府生まれ、東大卒。
電子部品ダイオードのトンネル効果を発見。トンネルダイオード(エサキダイオード)を作る。1973年ノーベル
物理学賞受賞。筑波大学学長を1992年から1998年まで務める。
小柴昌俊(1926年~ )愛知県生まれ、東大卒。
自ら設計したカミオカンデによって史上初めてニュートリノの観測に成功。
2002年ノーベル物理学賞受賞。愛弟子の梶田隆章も2015年ノーベル物理学賞受賞。
画家としては、葛飾北斎(89)、横山大観(89)を挙げます。
葛飾北斎(1760年~1849年) 江戸生まれ。
画家として、森羅万象を描き3万点を超える作品を残す。 有名な作品は「富岳三十六景」、西洋画家のゴッホなど
にも影響を与える。
横山大観(1868年~1958年) 茨城県生まれ、東京美術学校卒。
近代日本画壇の巨匠。今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立。作品の蕭湘八景や生々
流転は重要文化財となっている。
50年以上にわたり、1升酒を続けたが、アル中にもならず、大病もせずに90年の寿命を全うした。
以上、長寿の方たちを記載してきましたが、勿論ここに挙げた方たちは全体のごく一部にしかすぎません。
ただこうした方々の生き方をみるのに、共通のものが浮かびあがってくるように思うのです。
宗教の宗派や、政治の党派は、人間の世界の都合で作り上げられたもの。
長寿の方たちは、こうした人間が作り上げた原則の中で生きているのではなく、大自然の摂理に則って生きて
こられたのだと感じるのです。
長寿の方たちから浮かび上がってくる大自然の摂理とは、創造の生活、慈しみの心、人に何かを与えてあげよう
という気持ちが感じ取れるのです。
こうした共通の項目こそが、長寿の秘訣なのではないでしょうか。