日日是好日(にちにちこれこうじつ) 2019年 2月15日
先日、日日是好日という映画を見てきました。
もともとは、森下典子さん原作の同名の小説をもとに描かれた内容で、茶道を通して主人公が味わう人生の情味、
しあわせを描いた、とても染み入る静寂の時間を感じさせてくれる作品でした。
茶道の茶室に掛けられていたのが、この題名となる“日々是好日”でした。この言葉は、茶道と深いつながりのある
禅の中にある言葉なのです。
中国の唐末の雲門文偃禅師の言葉です。
修行の中に“公案”という言葉の投げかけがあり、それについて考える修行です。
雲門禅師が“ここまでの15日はお前に問わないが、これからの15日をどうするか一言で言ってみよ。”と問いそれに
自ら答えて“日々是好日”だと答えたというがこれはどういうことか?という公案です。
これに対して、ひたすら考え続けるのが修行となるわけです。
色々な解釈がされていますが、過ぎた日々やこれからの日々に一喜一憂することなく、今日は雨かよし元気で行こう。
大問題が発生しているよし何とか解決しよう。のこの好しが好日だというのです。苦労があろうが、悲哀があろうが
只今この一瞬を精一杯生きる。そしてこの一瞬一瞬が積み重なれば日々是好日になるというわけです。
簡単に言ってしまえばこれだけなのですが、この禅の公案の中には、昔からの僧侶たちが命がけで取り組んできた思い
が秘められているのです。
そもそも、禅は仏教誕生させた釈迦から数えて28祖になる、達磨大師がインドから中国にわたり少林寺で始めた
教えです。西暦520年ころのことです。
その後、臨済義玄(867年没)によって、臨済宗が創宗されました。
現在まで残っている、禅宗というと、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗がありますがその1つにあたります。
曹洞宗の黙照禅に対して、臨済宗は公案に参究することで、真理を体験しようとする看話禅が特徴です。
この公案でより早く悟りに至ることを目指した禅なのです。
この公案は、本当に命掛けで取り組んだ人々の言葉だけに、先の日々是好日だけでなく色々な言葉が、我々の生活の
中に活かされています。
この公案については、追って紹介させて頂くこととし、代表的な公案を一つ紹介させていただきます。
それは、臨済宗が室町時代以降に衰退していたとき、中興の祖として現れたのが白隠禅師(1686~1769)です。
いまでも白隠禅師が著した坐禅和讃は、臨済宗のお寺では坐禅とときに唱えられています。その白隠禅師の代表的な
公案です。
両手を打てば音がするが、隻手(片手)の音はどんな音か?というものです。
この解釈は、片手の音は、耳で聞くことのできるようなものではない。思慮分別を交えず、五感を離れ、ひたすら
隻手の音を求め続けて行けば、究極に至ったところで無明根本の本源があらわれる。というものです。
この境地に、至り得たものにのみ、白隠は弟子入りを許したといいます。
白隠は、悟っても、悟っても、次の悟りを求め、探求に終わりなし。
生涯現役が大事という教え。
で江戸時代に83歳の長寿を貫きました。
日々是好日、隻手の声、禅のなかの味わいのある言葉です。