秋の中秋の名月に因んだ話でまとめてみたいと思います。
「名月や池を巡りて夜もすがら」有名な松尾芭蕉の句です。
芭蕉43歳、1686年8月15日の十五夜の句会の後に詠んだ句です。
名月があまりに美しく、池に映る満月を見ながら、感慨にふけっているといつのまにか夜もあけてしまった。という
ような意味でしょうか。
月に対する憧憬の深さが現われています。
人間は、天に浮かぶもののなかで、太陽についで明るい月に遠い昔から思いを馳せてきました。
満ち足り欠けたりする月の移ろいは、暦にするのに最適でした。ほぼひと月で新月から満月そして新月へと一回り
します。だからひと月の単位が月なのです。
暦の起源というのは、人類の文明の起源とともに始まっているといえるのです。メソポタミア文明の当時から月を
もとにした太陰歴が用いられていたといいます。起源前2千年、今から4千年以上前のバビロニアでは、月の周期が
29.5日であり、1年12か月とすると354日になり、太陽の周期と11日の差が出るため、太陽の周期との差を埋めるため
19年に7回閏月を設けると太陽の周期と一緒になることに気付いていたそうです。これをメトン周期と言って太陰
太陽暦として一般化されてきました。この周期は中国の殷文明でも用いられていたというから、大変な歴史があり
ます。
今の太陽歴もユリウス暦というくらいですから2000年もさかのぼります。
でも、まず月から暦が始まったというのは、なんとなくうなずける話ですね。おそらく、文明以前から人類は月を
眺めて、あこがれと、法則性と、祈りを込めて過ごしてきたのだと思います。
今と違い、少し前まで少なからず電気が発見される前までは、月のない新月の夜は、鼻先さえ見えない真っ暗な
暗闇でした。
だから、昔のひとたちは満月の夜は、夜明かしでお祭り騒ぎをしたとういうのもうなずける話です。
月に対する愛おしさは、月齢の呼び方にも表れています。
1日目は新月ですが、2日目は繊月(せんげつ)といいます。
3日目は三日月、10日目は十日夜(とおかんや)の月、13日目は十三夜月(じゅうさんやづき)、14日目は小望月
(こもちづき)、15日目は満月、望月、十五夜などと言われます。
16日目は十六夜(いざよい)、17日目は立待月(たちまちづき)、18日目は居待月(いまちづき)、19日目は寝待
月(ねまちづき)、20日目は更待月(ふけまちづき)、26日頃を有明月(ありあけづき)、30日目を三十日月
(みそかづき)と呼んでいます。
満月を中心に待ち望む心が溢れています。
最後に、満月に例えた歌で締め括りにしたいと思います。
それは、この世の栄華を極めたといわれる、藤原の道長の和歌です。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なきと思えば」
この世は、欠けることない満月のように、自分とって何でも思いのままになるのだという意味でしょうか。
ところがこの歌のあとは、藤原道長は、月が欠けて行くと同様に、子供に先立たれ、自らも病に侵されて、
心穏やかには送れなかったとのことです。
ものにこだわった栄華というのは、月と同様で永遠に満たされ続けることはないことの教えなのでは。
これを参考に、私たちの心を考えてみれば、ものにこだわらない思いで生きて行くこと、そして、我が、我が、
を先にしない生き方こそが、永遠の満月を我々の心にもたらしてくれる秘訣なのではないでしょうか。
言いかえるならば、情け深い心、慈しみの心で生き続けて行けば、誰でもがこの満月を持ち続け味わえる資格を
持ったといえるのだと思うのです。
そうすれば、道長も味わえなかった満足感を味わい続けられるのです。