背中で語る 2016年 6月17日
北京オリンピックの時、日本女子サッカーの澤穂希選手がチームメイトに
“苦しくなったら私の背中を見なさい”と語った言葉は今に残る名言です。
背中が語っているのではなく、全身から滲み出ているものを感じ取りなさいという言葉なのは
どなたも感じられると思います。
この言葉がすごいのは、澤選手から出ているオーラが知らず知らずのうちに、選手たちを包み
込んでしまう力を持っていることなのです。
選手たちは、澤さんを見ている限り自分は大きな力に包まれているという安心感で満たされる、
というほどにすごい力を持っている。
これほどの力はどこから出てくるのでしょうか?
人は、言葉で多くの意思表示をしていますが、言葉で語れる量というものはごく限られたものなのです。
政治家が立派な言葉を並べ立てても、その背景がみすぼらしいもの、貪欲なものであれば、いずれは
有権者に見透かされて信用は地に落ちてしまいます。言葉で生きている世界には、こんな話が溢れ
かえっています。
子は親の背を観て育つと言われます。まさに、この言葉もそれを表わしています。親が口うるさく、
“勉強しなさい”とか“ゲームをいい加減にやめなさい”といってみても、なかなかいうことを聞かない。
それより大事なことは、親の背の姿勢なのです。
澤さんの例に見るように、子供は親の全身から滲み出るものを感じ取っています。親を見習っていれば、
自らの生きる術を得られると頼りにしているのです。
そこに、親の姿勢が、頼りなかったり、恐れおののいていたり、怒り狂っていたりしたら子供に与える影響は、
図り知れない大きなものがあります。
ひとつ間違うと、子供の人生が親の背中そのものとなってしまいます。
この、全身から滲み出ているものとは、何なのでしょう。
それは、ご自身の心の態度そのものなのです。
この心の態度が、いつどんなことがあっても、溌剌として、尊く、清らかであったなら、
全身から滲み出るものもおのずから、尊いものになってきます。
こうなるためには、どうしたら良いのでしょうか。
そのためには、日頃を生きていくとき、自らの心を、本能ではなく本心に従わせて生きていく
ことなのです。
本能は自分の命を守ることのみに働きますが、本心は周囲も含め円満具足的に働きます。人に喜びを
与えることに最上の満足感を感じられるようになってきます。そうした生活を送っているとその人の
全身からは芳しい香りがにおい立つようになってくるそうであります。
澤さんの周りには、思いもよらない力が出てくるというのもこうした雰囲気が周囲を包み込んでいたから
なのではないでしょうか。
自らの背中を香り立たせる気持ちで生きて行きたいものです。