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自力と他力                                      2022年 310

 初詣で、無病息災、家内安全、商売繁盛をお願いしたことはありませんか?

ごく当たり前のように、こうした言葉が氾濫しています。

 でも、祈っただけでこれが叶うのでしょうか?
薄々ながら祈っても成果に結びつかないことは皆さん分っていらっしゃるのです。

 こうあったらいいなという願望にたいして、商業ベースにのって広告宣伝で広まっていったのが現状だと思う
のです。


なんとなくお願いしたことでホットしている。

 でもこれが逆に望みを叶えることの足かせになってしまっていることに気が付かれていません。
望みを持つことはとても重要なことです。望まなければ何も叶わないのは間違いありません。しかし、
望みを叶えるために他の力をあてにするということは、大きな誤りだというのです。

 あなた御自身がこの世に存在していること、これは奇跡といっていいほどの確率だと言われています。
体の細胞
1個が偶然に生まれる確率は、1億円の宝くじが百万回連続当選したようなありがたい事だ。
と遺伝子学者の木村資生博士は言っています。

 この奇跡の様な力が宿っている自分自身を差し置いて、他の力にたよるということは何とも見当違いなこと
だと思われませんか?


他に頼った時から、その望みを放棄してしまったと言っても過言ではありません。






 昔から、この真理に気付かれた先人は多くいたようです。

 天は自ら助くるものを助く という言葉があります。これは西洋の古いことわざで 英語では

God helps those who help themselves.” と言われています。

明治時代に日本に入った「西国立志編」という書物を中村正直が訳して、
天は自ら助くるものを助く 
となったそうです。

意味は
天は、他人に頼らずにひとりで努力する者を助けて幸福を与える。なります。


 また、 自ら省みて縮(なお)くんば 一千万人といえども我いかんという孟子の言葉があります。
意味は
自分の心を振り返って自分が正しいと確信できれば、たとえ相手が千万人であっても、つまり
どんな困難があっても立ち向かって行くという覚悟を示す言葉です。

この言葉の中には他の力をあてにするものは微塵も含まれていません。


 また、人事を尽くして、天命を待つ これは、南宋初期の中国の儒学者である胡寅の『読史管見』に
「人事を尽くして天命に聴(まか)す」とあるのに語源があります。意味は、自分の全力をかけて努力をしたら、
その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、どんな結果になろう
とも悔いはないという心境を言っています。

一見天に頼っているのではと考えられるかもしれませんが、ここで言う天とは、万物想像の根源を指しています。
自らは天の分派でありますから、他力に頼るという心は微塵も含まれていないのです。


 こうして、我々の先人のなかに沢山の人々が、自らの力に気付かれ多くのことばを残されています。

 この自力で活きる生き方が、どれだけ清々しく、悔いなき人生をおくれるか、どなたもどこかで経験されている
はずです。

 神頼みしたくなったら、これらの言葉を思い出し、天にはお願いするのではなく、自力を尽くした結果をお任せ
するのだと言い聞かせていきたいものです。初詣に行ったら、お願いではなく、自力を尽くせることに感謝して
天に委ねる気持ちを磨いていきたいものです。



 最後になりますが、風邪をひいて薬を飲んだり、重い病を患い手術で回復したりすることがあります。
このことを、皆さんは、薬や手術が病を治してくれたと思っていませんか? 実はこれは誤りなのです。
薬や医術は病を治す助けをしてくれますが、病を治すのはご自身の力なのです。どんなに良い薬や医術をもって
しても自らの力なくしては病からの回復はありえないのです。
この力が宿っているのだということを自らに言い聞かせながら、自力を大事にしていきたいものです。