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喜びと感謝の大切さ                                 2021年 515

 安岡正篤の言葉に
 
  第一に、心中常に「喜神」を含むこと。

  第二に、心中絶えず感謝の念を含むこと。

  第三に、常に陰徳を志すこと。

があります。

喜神とは、心の奥底に喜びをもっていることと言います。

人間の本質として、生きていることに対して喜び多く、楽しみ、感謝を感じていられることがどれだけ大事なこと
であるかは誰もが感じていることだとおもいます。

しかし、そうは言っても楽しいことばかり、嬉しいことばかりがあるわけないではないと言われるかもしれません。

これが怒らずにいられるか、これが悲しまずにいられるか。

よくきく言葉です。世の中がそうした消極的なもので満ち溢れているのも事実です。でも、怒りで生きたり、悲しみ
で生きていくということは自分の身体にどれだけ悪影響をあたえるか計り知れないものがあります。

怒っている人の息を取り出して凝縮してネズミに与えるとネズミは死んでしまうといいます。

いくら世の中が消極的であってもそのせいにして、自分自身の身体を痛めてしまうのは決して得策ではありません。

この世をどう生きどうご自身を守っていくか、ヒントになれば良いと思います




まず第1に、マスコミに対する姿勢です。今のマスコミを見ていると消極的な情報のなんと多いことでしょう。
コロナの感染者が何千人になった。あの国で暴動があった。数え上げればきりがありません。一方で喜びや祝福の
報道というものはごくわずかです。報道情報に触れるに際してどうあるべきなのでしょうか? 聞くのに情報に引
きずりこまれるのではなく、取捨選択をして接することだと思うのです。暗いニュースに浸りこんで自らまでを暗
くしてしまうことはありません。これは消極的な情報と思ったら適度なところで切り離してしまうことです。逆に
ほほえましい情報には積極的にかかわり自分の中に記憶させていくことです。

これがマスコミに隷属されない秘訣です。





第2に、喜び、楽しみ、感謝の情報を自らで見つけ出す工夫をすることです。そんなに良いことばかりがあるかと
言われるかもしれませんが、見方で大きく違ってきます。

生きている中では、当然、病や不運というものも、自らに襲いかかってきます。こんなときこそ感謝の気持ちで接
すること、日頃の生活が悪いから病が起こったのだ。日頃の行動に問題があるから不運が襲ってきたのだ。 
と天が自らに教えてくれているのだと思えば。ああ此処を治そう、この行動を変えて行こうと、感謝の側に振りか
えてみることもできます。


大きな病や不運はそう頻繁に起こるものではありませんが、そのときはいつかやってくるものです。その時は、生ま
れた前に帰っていくとき、それまでは喜び多く、感謝で生きていきたいものです。


本当に小さなことでも喜び、感謝の目で見てみることです。

例えば、朝起きたときに朝目覚められたことに感謝する。

夜、熟睡できたことに感謝する。

朝の朝食での物のおいしさに感謝する。朝の公園でいい空気が吸える喜びを思う。仕事で朝気持ちよく挨拶できたことに感謝する。

仕事のあとのビールのおいしさに感謝。

家族と楽しいだんらんをもてたことに感謝。





日頃の習慣になるまでのヒントとして習慣化するための方法があります。よろしかったら試して見てください。

些細なことでよいから、1日の終わりに喜び、感謝できたことを、まとめて書いて見るのです。
数分で10個くらいは思い浮かびます。

毎日、毎日続けていくと、不思議なことに自然と喜び、感謝の側から日常生活をみるようになっているご自身になっていることに
気づかれるはずです。





最後に、中村天風の誦句集のなかの言葉で締め括りとします。


およそ宇宙の心霊は、人間の感謝と歓喜という感情で

その通路を開かれると同時に、人の生命の上に迸り出でようと

待ち構えている。

だから平素できるだけ感謝と歓喜の感情をより多くもてば

宇宙霊の与えた舞う最高のものを受けることができるのである。

かるがゆえに、私は喜びだ感謝だ笑いだ小躍りだと

勇ましく溌剌と人生の一切に勇往邁進しよう。