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身体と心に使われないために                          20191231


人間の思考に影響を与える心を分析すると、本能の心、理性の心、霊性の心の3つに分けられます。

本能の心とは身体についている心で、身を守るために授けられている心です。この心で、食べて、寝て生命を維持
しているわけです。

そしてこの心は人間以外の生物にも存在していて、生きて生きて生き続けるように働いています。

生きるための心ですから無くてはならない心なのですが、使い方を誤ると欲の元になる心のため貪欲や亡者につな
がります。


理性の心とは思い考える心で、人間のみに与えられた高級な心ということができます。生まれてから死ぬまで発展
し続ける心で、相対的な心ということもできます。この心があるからこそ人類は発展し続けてきたともいえるわけ
です。この世の中のものというものは天然のものを除けば、すべてこの理性に基づく思考から生み出された結果と
いうこともできます。

考える心だけにそれがもとになり、鬱になったり、ノイローゼになったりするもとでもあるわけです。


そして、霊性の心。生きていることの実態である霊魂についている心を言います。霊魂なんて信じないという人も
あるかもしれませんが、死を迎えるとこの霊魂は抜けて心と身体から離れて行くと考えたほうが分かりやすいので
す。


そしてこの霊魂についている心が霊性の心です。

分かりやすく言えば、思いやりの心、慈しみの心、情け深い心であり人の本心、良心ともいえる心です。
この心は理性の心と違い相対の心ではありません。絶対に付随する心といえるのです。

ですからこの心からは欲も鬱も生じないということができるのです。



この3つの心は、別々に存在しているわけではなく、ひとつの心として存在していて、その時の状況に応じて発現
していると言ってもいいのだと思います。お腹がすいたら食事をしたくなるし、課題を前にしたらそれを何とか乗
り越えようとする。小さい子が道に飛び出そうとしていたら、抱きとめる。いろいろな形で現れてきます。

その現れ方を客観視できることがとても重要です。

本能ばかりで生きているのは犬や猫や魚の生き方と変わりなくなってしまいます。また怒りや恐れに囚われてしまう
のもこの心の影響によるものです。

理性のみで割り切ろうとすると、分からないことが多すぎるためそのことに巻き込まれて煩悶の世界から抜け出す
ことができなくなってしまいます。




本能の心のみで生きるとは、いつの間にか身体に使われて生きているという状態です。身体の欲するままに飲み食い
生きていたらご自身が身体に使われて生きているということになるわけです。

理性の心のみで生きるとは、同様にいつの間にか心に使われて生きているという状態です。心がすべてだと思い生き
ていると相対の世界ですから
分らない状況に直面するとどうにも処理しきれなくなってしまい心に使われてしまう
状況になるわけです。

では、身体にも心にも使われないために生きるにはどうしたら良いのか?

まず、日常生活を省みて身体の事を考えているか、心の事を考えているか、霊魂つまり命のことを考えているかを
振りかえってみることです。

身体のことは、分かりやすいからいつも振り返っていますよね。

心のことも、わりと見やすいものでああすればこうすればよかったといつも振り返っているものです。

一方の霊魂、いのちについてはどうでしょう。

ご自身の実体なのですがなかなか見えないものですから、思いをするのは難しいのです。でもこの実体に思いをして
生きていれば、それは身体でも心でもない自分と向き合ったことになるわけです。この時こそが身体にも心にも使わ
れていない時なのです。

ここから先には、不滅の命の世界が広がっているのです。