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命と時間                                     201810月 5

私たちが、この世に生を受けて数十年。
日々、この数十年で自らの命を育み、成長させてきたと考えているのが私たち人間なのではないでしょうか。

ところがです、この命はご自身で作ったものではありません。

父と母により作られたといえばその通りですが、その前、その前がなければ私たちは存在し得ていません。


これを突き詰めていけば、38億年前に地球上に生命が誕生したときというところまで遡ることになります。

私たちの日頃の生活を振り返ってみると、自らの力で食べて、呼吸して成長してきていると思っているケースの方
が多いのではないでしょうか。


五感についても、自らの力で感覚しているのだと思いがちです。

例えば、目、視覚をとってみても、もともと見えていたわけではないのです。


もとをたどれば、5億年前、単細胞だった遺伝子が何等かの影響を受けて
4倍になったことから進化が始まり、目という機能が生み出されたことに始まります。
アノマロカリスという捕食生物が目を獲得することで圧倒的優位に立ち進化がどんどん進んで今につながっています。

私たちが思ったり考えたりする思考についても同様のことが言えます。

1億数千年前に、ほ乳類として大脳に新皮質を獲得して、言葉と知性を獲得できたといいます。

ご自身の力で見ている、ご自身の力で考えていると思いきやとんでもない話なわけです。五感は、5億年も前から引き
継ぎ引継ぎしてきた結果与えられている機能なのです。

思考は、一億年もかけて磨いてきた結果に付与されている機能なのです。

今、ものを感じられること、もの考えられることは、ご自身が作り上げてきたものではありません。
そうした機能を活用させてもらって、自身の人生が少しでも快適になるようにしてきた結果といった方がよいかも
しれません。


自分が作ったものは、ご自身の持っている機能の何億分の1といっても過言ではないと思うのです。

ご自身を振りかえる時に、この進化の時間軸で見てみるのもよいことではないでしょうか。

今の、自分の思考は、どの進化の過程のレベルのものであるか。

今の感情は、どの進化のレベルのものであるか。

それが、感情のままに、欲望のままに、行われているとしたら、ご自身の進化のレベルが、魚並みのものなのか、
鳥類なみのものなのか、ほ乳類並みのものなのか、霊長類並みのものなのか見えてくるかもしれません。

おそらく我々人類は、全てが魚並みであるはずはありません。

しかし、感情の赴くまま、欲望の赴くままに、生きている時間が長いとしたら、折角の霊長としての価値を台無し
にしているといわざるを得ません。

私たちは、万物の霊長としての、霊性を確保し他の生物から抜きんでて1億年に及ぶ進化を遂げてきているのです。

この時間を、しみじみと味わおうではありませんか。

他の生物にない、言葉を通じて他を思いやる心、慈しみの心、助け合う心、自らの思考を通じて社会を向上させて
いこうとする心、人々を幸せにしようとする心。

これらは我々人間にしか与えられていません。せっかく生まれてきてこの長い時間の進化の恩恵を味あわないなんて
いうほどもったいないことはありません。


欲望のまま、感情のままは、動物でもできること、人間ならではのこの霊性、徳性を味わえるのは我々人間のみに
与えられた恩恵です。


生きている間、この霊性、徳性を発揮して生きる事こそ、長い間にわたって私たちに進化としての結果を残してきて
くれた先祖に対する恩返しになると思うのです。