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    情け深い心                                     2018年 726


私たちが、意識して使っている心には、いろいろな形態があります。

日々食べ、眠り、子孫繁栄のために性活動を行う。

これらは、私たち人間が存続していくために、組み込まれた心で本能心と位置付けられています。


この本能心という心は、我々人間だけでなく、この地上に存在する生物と言われるものには皆、存在していて
それぞれの種族を存続させるために働いている心と言ってよいのでしょう。

どんな動物も必死で食べ、子孫存続のための命がけで生きている様子はいろんなドキュメタリィーで目の当りにして
良くご存知なことと思います。


ただ、私たち人間はこの本能心だけで生きている訳ではありません。

人間ならではの心といえば、理性心ですね。

理性心とは、私たち人間の思考から生じる心と言われています。

思考ができるから、本能のままに生きるのが得か、別の方法を選択するっことはできないかを考えられますし、
もっと効率的に食べ物を得ることを考えたり、穏健な方法で異性と結ばれる方法も考えたりしています。

人間だから理性的には生きられるのですが、理性があれば万全な生き方ができるわけではないのです。

それは、理知的に生きていても煩悶や悩みから抜けだせるかというと、皆さんも、そんなことはできないと断言
されるのではないでしょうか。

理知で生きている世界というのは、あくまでも相対の世界ですから、日々に苦しみ悶えは絶えないといってよい
のだろうと思います。

本能の赴くままに生きていれば、本能が満たされない時に苦しむだけで済むのですが、理性の生き方は、考え方
によってはしょっちゅう自らを苦しめているといってよいのかもしれません。


人間の心の中には、もう一つ尊い心があるのをご存知でしょうか。


それは、情け深いこころともいうべきもので、皆さんも言われてみればそんな心もあるなと気付かれることと
思います。

それは、例えの話になりますが、交通量の多い道路によちよち歩きの幼子が一人で道路に入って行こうとする情景
を想像してみてください。


もしその横に、貴方一人かしない情景だとしたら、黙っていても子供を抱きとめる行動に出られるのではない
でしょうか。
人間の本質の中には、子供が車にひかれるのを黙って見ている心はありません。


このこころを拡大してみたのが、情け深い心なのだと思うのです。

人に対して何かをやってあげるこころ、困っている人を援けてあげるこころ、慈しみのこころです。

このこころは、いくら発現させたとしても決して自らを苦しませたり、悶えさせたりすることはありません。
やった結果に対しては喜びのが反ってくるだけです。ここの心が自らのうちにあることを認識することが大事です。

情け深い心のみで生きるべきと言っているのではありません。

生きて行くためには、当然本能心は必要です。世の中を進歩させていくためには理性も当然必要です。


ただ、本能心の赴くまま、理性心の赴くままに生きるべきではないというのです。


情け深い心が自らの最も尊い心と位置付けて、情け深い心の統御下に本能心と理性心を置いて生きて行くことが
重要なわけです。


本能心のみで生きている動物を見る時、理性のとりこになって煩悶して生きている人を見る時、情け深い心を
もった目で見た場合には、一つ層が上から人生が見えてくるのではないでしょうか。