しあわせについて 2016年 9月16日
みなさんは、しあわせとはと聞かれたとき、どのようにお答えになるでしょうか。
健康であればしあわせ。お金があればしあわせ。家族に恵まれた家庭があればしあわせ。仕事がうまくいき
地位が上がればしあわせ。社会的な名誉をもらえたらしあわせ。と挙げられるかもしれません。
神社へのお参りでも、無病息災、商売繁盛、家内安全と数多く書かれているのをみても、多くの人が考えられ
ているのでしょう。
しかしこれらは、いずれも叶えられない願いなのです。
しあわせは、固定された場所には存在しえないものなのです。
これは、お金持ちになりたいと願い、仮に1億円を手に入れたとします。
手に入れたときは、とてもしあわせと感じるかもしれませんが、1年もしないうちに、しあわせ感は薄れてしま
い、さらにもっともっとと考えることでも明らかです。
健康にしても、高いお金をかけて今の病を治したとしても、治ったあとから次の病を心配しなければならない事
態が襲ってきます。
これは、地位、名誉、家族についても同様のことが言えます。
つまり、そうした固定されたものの中にはしあわせは存在していないと言えるのです。
では、どこにしあわせというものが存在するのでしょうか。
それは、この変化し続けている生活のなかで、いきいきと溌剌として過ごしていられる心の状態こそがしあわせ
なのです。お金が欲しいといって、お金を貯めるためにいろいろ工夫をして貯めていくプロセス。偉くなりたい
と考え日々の生活に工夫を凝らしていくプロセス。健康になりたいと思い日々を精進していくプロセス。その過
程こそがまさにしあわせの本質なのです。お金、地位、名誉、健康などという結果だけにこだわると人生は、
まことに哀れなものになってしまうのです。
日々の過程を重要視する生活、これこそが本来のしあわせの生き方といえるのです。そのためには、なにに対し
ても前向きに、より良くしていこうという態度こそが、しあわせの秘訣と言えるだいじなものなのです。
固定された結果にこだわらず、心の態度を積極的にすることで、世の中の変化の中に安住し、しあわせを味わう
生活をこころがけることが何よりの生き方なのです。
手に入らないものを追い求める続けることよりも、こころの態度ひとつで手に入れられるものなのですから、
観かたを変えることがいかに大事かはお分かり頂けると思います。
さらに、もうひとつランクのうえのしあわせがあります。
それは世の中の変化を先取りする取り組み、いまだ世にないものを新たに顕在化させていくこと、すなわち
創造の生活こそは、ひとつ上のしあわせなのではないでしょうか。
いずれも、こころのもちかたでしあわせになれるものなのです。