執着を離れる 2016年 3月 1日
人間は、生まれてくるときは一人、そして死んでいくときも一人だけで死んでいくことになります。これは、
誰もが共有しうる共通の認識だと言えると思います。
その間、生きている間に、頭脳が発達し理性が芽生え。いろいろな人と関わり、ものと関わりあうことで、ご
自身の人生が出来上がってきています。
この一人で生きていく人生を見つめたとき、本来の目的は何なのでしょうか?
死んで持っていけるものがないことを考えると今の現世に悔いなく生きることは大事だと言えます。
我々の今生きている大自然は、日々刻々と進化しています。それは、38億年前にこの地球上に生物が誕生し、バ
クテリアになり、プランクトンになり、植物になり、魚類になり、爬虫類になり、鳥類、哺乳類となり、我々霊
長類となってきたことで明らかであります。
この進化の過程を考えたとき、我々の目的はこの進化の過程に従って生きるのが自然だとは思われませんか?
我々が生きていられる、寿命といわれるこの百年を考えて見ただけでも、人の寿命は、五十歳から百年歳近くまで
延びてきています。これをもしご自分だけは変わらないとしたら、時代遅れと考えられませんか?今も江戸時代の
丁髷をしていたら不自由ではありませんか?世の中は、刻々変化し続けているのが自然の摂理なのです。
むしろ、我々が生きる目的はこの進化を促進させる役目を負っているのではないでしょうか。
そこで、本題の執着に入っていきたいと思います。生まれて、生きるための本能が生じ、理性が芽生えて、いろ
いろなものに囚われざるを得なくなってきます。物、金、人、名誉、地位そうしたものに囲まれて我々は生きて
います。
生きるために必要なものですから、要らないものではありません。
ただ、執着することは自然の法則に対しては、百害あって一利なしなのです。
物の場合、それに拘っている姿を想像してみてください。要るものは大事にし、要らなくなったら廃棄していか
なくてはいつの間にかごみの山に囲まれて生活することになってしまいます。
お金の場合、お金があれば幸せと考え、亡者に化している人を見ます。
オレオレ詐欺の加害者を見ると、その先には間違えても幸せはありません。
生きているのは、人に幸せを与えてこそ幸せを感じられるのですから。
人の場合、縁あって親子となり、兄弟となり、妻となり、友人となり、恋人になります。そこで、相手を自分の
思うままにしようと思うのが執着です。
人に対しては、あくまで自分のやれることをやってあげようとする心までが、人としてやれることのすべてだと
思います。
名誉、地位の場合、自分の地位を誇っても聞いてもらえるのはせいぜい1回限りです。ノーベル賞を受賞した人の
話が大勢の人に聞いてもらえるのは、
俺はえらいではなく、こうした直向きの努力をしたら、こうした創造に取り組んだら、あなたもきっとノーベル賞
を取れるよと教えてあげるから、皆が聞きに来てくれるわけであります。ご自身を振り返っても、偉い、偉かった
ではなく、今の場所から更に直向きに取り組む姿勢が評価されるのだと思うのです。
では、この執着から離れるためにどうしたら良いのか。
それは、ご自身を客観視してみる事なのです。静かな時間に自分の姿を見てみて、人を押しのけて、ものを漁る姿
はないか。地位に執着して、理屈にこだわっている姿はないか。異性にのめりこんで、自らを失っていないか。
お金の亡者になっていないか。
そんな時間を持つことが重要なのです。
執着している時はそのものに心が取つかれていますから、進化が止まっている時であります。この状態が長く続く
と、世の中の進化との乖離がどんどんと進んで行くことになります。ご自身では気が付かれませんがどんどん差が
広がって行きます。その結果は、大自然の摂理から振り落とされることになってしまうのです。つまりはこの世の
中から消える時なのです。
囚われないで生きるということ、それが自然法則であり、この自然法則こそが疎かにできない大切なものなのです。
そうすれば、大自然は穏やかに自らの寿命を全うさせてくれるようにできているのです。